一つの現実に対して、ゴーリキイは丁度ヴォルガ河がその上流から悠々と崖を洗い、草原をひたし、木材の
筏を流しつつカスピ海にそそぎ入るように、目についた端の方から、一つずつひろがる流れにまき込んで書いてゆく。どっちかというと自然発生的である。現実の現象の底流れを掴み、作家として自分の目をとらえた事象の底をついて整理し、頭から尻尾まで見とおした上で細かく筆を運んでゆくと云うのではない。べったりと、大局的抑揚少く、日から夜へ夜から日へと進んでゆく。ゴーリキイは自分勝手に現実を拵えない作家であると同時に、時には目の先の現実に押されたと思われます。
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